「ちょっと聞いて!」のお話。
2連休のお休みで…。
こんにちは!
北海道帯広市でネイルサロン&スクールを運営しております、
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
本日も雨ですね。
この数日は大型の台風の影響で雨がまた続くようですよ。
実はこの土日で札幌・積丹へ行っていたのですが、北海道は本当に広いです、
向こうはとてもいいお天気で暑いくらいでした。
それが昨日、夕方前に帯広へ帰る同中、何個目かのトンネルを抜けると雨が降り始めて空もどんより雲が広がっているので、「本当に同じ北海道でこんなにもお天気が違うんだぁ」と実感しました。
出発前の26日金曜日、お仕事が終わった後、これからの長旅に備えて美味しい物を食べました。
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)前にあります、’南インド料理DAL(ダール)’で初めてディナーを頂きました。
これまではランチしか頂いた事がなかったのですが、ディナーも美味しかったです♪
ですが本来は美味しい物を食べて勢力を付けて、深夜3時頃に積丹へ向けて出発する予定だったのですが、
帰宅して少しダラダラしてしまうと、これから出発するのが億劫になってしまい、
一旦札幌へ入ろうと予定変更になり、27日土曜日はゆっくりと札幌へ向かう事にしました(笑)
そしてこの27日土曜は、実は私のお誕生日でしたので、
札幌の’札幌 フレンチレストラン LE VENTER ル・ヴァンテール’でフレンチディナーを頂きました。
フレンチを頂くわけですから、お着物を着ようと思ったのですが、何と久し振りのお着物だった為、草履を忘れてしまう凡ミス!
仕方なく、念の為に持って来ていたスカートを履いてお出掛けしました。
美味しかったコースに、
右はお店がご用意して頂いたお誕生日のお祝いです。
Impoさんの企てた事ですが、いつも思うのですがお祝いの仕方が、
「ホステスじゃないんだから(笑)」と思ってしまいます。
まぁ、このようにしてくれるお祝いに、いつまでも似合う女性でいなきゃ、と思いますけどね!
そして昨日、朝7時過ぎに札幌を出発して次の目的、積丹へ。
積丹からの海も青々としていて綺麗でした。
ですが最初に行った’なぎさ食堂’はシケの為漁に出られずお休みします、という事でしたので、
’みさき ’に行きました。
ここ数年は行けていませんでしたが、結構これまで夏にはみさきさんでウニを頂いてきましたけど、こんなに人が並んで外にまで溢れているのは初めてでした。
しかも停められている車のナンバーが本州のだったり、レンタカーが多かったです。
お座敷席の方には沢山の方のサインが飾られていました。
右側にちょこっと見えていますが、白鵬さんのサインもありましたし、
写っていませんが大鵬さんのもありましたよ!
ウニ丼と♪
すでに数量限定のバフンウニは無くなってしまっていましたが、
ウニ、すごく美味しかったです❤
そんな感じで2連休を頂き札幌・積丹まで行き、お誕生日を過ごしました。
ウニを頂けたので今年やっと夏らしい事が出来ましたので、良かったです♪
またまた頑張ります!!
Posted at 2016年08月29日 15時08分09秒
お見舞い申し上げます。
こんにちは!
北海道帯広市でネイルサロン&スクールを運営しております、
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
昨日の台風は集中して一時すごかったですね。
ちょうどその頃にご来客様がいたのですが、時折思い出したように強く吹く風が音をならすのですが、その度にお客様も私も外を見てしまっていました。
お客様が帰る頃は嘘のように風も無くなって雨もやんでいたので、安全にお帰り頂けるとホッとしたものです。
ただ、その時お見送りで外に出たらすごい磯の匂いがするのでビックリしました!
「何で内陸の帯広で磯の匂いがするの??」と思ってたのですが、
帰りの道中で、強風でなぎ倒されたりした葉っぱの匂いだと気付きました。
煽られてちぎれた葉っぱなどって、磯に似た匂いがするんですね!!
そんな昨日、黄色のパトロール車が沢山出ていましたね。
台風後の道路が安全に通れるか、被害が無いかをパトロールしているんですね。
ありがとうございます。
帯広は被害があったような事は今のところ聞こえていませんが、
十勝管内では大変な被害が出たところもあったようですね。
足寄町は浸水被害、
釧路は強風被害が。
こちらを読んで頂いている方の中にもお住いの地域で被害があった方もおられると思います。
心よりお見舞い申し上げます。
1日も早くいつもの日常に戻られる事をお祈りしています。
Posted at 2016年08月18日 15時29分47秒
お休みの日。
こんにちは!
北海道帯広市でネイルサロン&スクールを運営しております、
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
昨日は18日振りの休日を過ごしました。
今月はお休み毎に札幌まで勉強会や講習会で行き来する事が多くて、往復の運転も疲れるし休みは全て勉強会に充てていたので、昨日はゆっくり過ごしました♪
とは言いましてもオリンピック開催中ですからね、一昨日の夜はとことん観戦を楽しんだので夜更かししましたよ(笑)
それでも睡魔には勝てず一旦寝て、再度早朝に起きて見たらなんとちょうど、柔道のイケメン君、ベイカー茉秋選手の決勝戦がやっているではありませんか!
金メダル、おめでとうございます☆
実は、今回のオリンピックで1番楽しみにしていた選手でした❤
2時間だけしか寝ずに起きた甲斐がありました!
強い上に、甘いマスクがそそりまっす❤
これからもっと楽しみな選手ですね!
そしてランチを今が旬のコーン炒飯を食べに芽室へ行きました。
美味しかったです❤
そしていよいよ来週に迫ってきた、JEWNE List(ジュネル)体験展示会のために、芽室辺りなどにポスティングさせて頂き、1日が過ぎていきました。
明日は午後から今月最後の札幌&苫小牧の出張へ行ってきます。
Posted at 2016年08月12日 15時53分58秒
長崎、原爆の日と平和を想う。
こんにちは!
北海道帯広市でネイルサロン&スクールを運営しております、
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
オリンピックはやっと念願切望していた男子柔道金メダルが出て、体操男子団体も金メダルと、
盛り上がっている今日ですが、
長崎では原爆の日を迎えましたね。
本当は今朝早くに、帯広神社隣にある護国神社に参拝に行こうと思っていたのですが、すごい大雨で断念しました。
でも、戦争と平和を考える1日にしよう、と思いました。
世界各国の選手とスポーツで技を競い合う事ができる、それこそが平和でなければ行えないので、このオリンピック期間中の広島・長崎の原爆の日ともうすぐ来る終戦の日はいつもと違う気持ちです。
長崎ですが、実は学生の時の修学旅行で平和資料館を訪れた事が最初で、当時「広島の方も行ってみたいな」と思って遠い広島にいつか行ける日が来るのかと思っていたのですが、今となっては広島ばかり訪れています。
学生の時の私はまさか長崎より広島に多く訪問する事になるなんて思わなかったと思います。
怒りの広島
祈りの長崎、
と表現されている事もあるようで、広島は被災した当時の建物を残し後世にも原子爆弾の恐ろしさを伝えていく方法を、
長崎は象徴となる物は全て取り壊されて残さなかった事で、戦争のシンボル的な建築物がないので、原爆の印象が薄らいでしまっていると言います。
また長崎の平和資料館を訪れたいなぁと思いますね。
学生の時の印象とはまた違う感想を持つと思うので、ゆっくり時間をかけて廻りたいと思います。
そういうわけでして、長崎について書けないので、5年前に、これまたずっと行きたかった同じ九州鹿児島の知覧の知覧特攻平和会館へ行きましたのでその事を書いてみようと思います。
知覧へ入ると町のウェルカムボードに”平和”の文字を入れて歓迎してくれました。
沢山の方が訪れていました。
駐車場に車を置き、資料館に入るまでに銅像やゼロ戦の模型なども敷地内に展示されていて、ゼロ戦など戦闘機は外の景色と相まってことさら当時の様子を想像しやすくしています。
突撃前まで寝起きして過ごしていた兵舎も見れます。
お国の為にとは言え、我が息子たちを送らざるをえなかった当時のお母さんたちの心境はいかばかりか。
その想いをしたためた碑文は目頭を熱くさせます。
こちらは母の像の近くにある特攻で若くして死んでいった若き兵士たちの想いを代弁されて碑文にしたためられていました。
そしてこちらは映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」にも登場した戦闘機だそう。
写真はその時のキャストの皆さんですが当時もこのように若く無邪気な笑顔が、明日の日本を想い家族を想って溢れていたのかと思うと、日本人として戦争を起こさない為はもちろんですがそれ以上に、彼らの想いを時間の中に風化させてはいけないと思えてなりません。
資料館は、今こんな達筆な綺麗な字と文章を書く若者がいるのかと思うほどの絶筆が収められいるのですが、
とにかく泣けて泣けてハンカチではなく、タオルをもって入館する事をおススメ致します。
当時の事をブログにしているのでこちらも併せてお読み下さい⇒
知覧特攻平和会館の駐車場近くには若き特攻兵たちを見送ってきた方の茶屋がありますので、そちらもぜひ一緒に訪ねてほしいです。
そして九州繋がりと、沖縄の海に散った特攻の若き兵士という繋がりで、2年前に家族で行った沖縄の平和の礎でのお話も。
糸満市摩文仁にある平和の礎です。
私も2年前に初めて行きました。
平和の礎は沖縄平和記念公園内にあるのですが、礎が出来てから訪れたのは初めてで感動でした。
沖縄戦などで亡くなられた全ての方々のお名前を刻んでいるという事ですのですごい数の方々のお名前が記されています。
各都道府県や各市町村、国籍別で分けられているのですが、私達も親戚の方のお名前を探すのに大変でした。
”広場の中央には「平和の火」が灯されています。この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものです。”
と関係機関でご紹介されていました。
長崎と広島と沖縄戦終焉の地と、結びつきがあるんですね。
礎の向こうはホエールウォッチングも見られる綺麗な太平洋を望む事ができるロケーションですが、
戦時中はここは、海が沢山のアメリカ艦船で埋め尽くされ、雨あられと容赦なく降り注ぐ艦砲の攻撃でこの一帯は地形が変わったそうです。
この断崖絶壁を海側に降りると、今でも焼けて黒く煤が残る岩などが見れますし、今でも手榴弾や薬莢、遺留品やお遺骨が見つかります。
この一帯でいまだ陽の目を見られないお遺骨をせめて明るい場所へ出してあげたいとお遺骨収集をされている関係者の方が、
「ここは地形も変えられたし火炎放射器やブルドーザーで片っ端から身を潜める場所さえ奪われてしまうほどの攻撃を受けたから、
生き残った方の話ではあるはずの壕が見つからないんだよね」と仰っていました。
この一帯はまだまだ沢山のお遺骨が埋もれているのかもしれません。
そういう意味でもここは強大な霊域ではないかな、と思います。
摩文仁はその美しさと悲しさが共存する不思議な場所なので、美しい沖縄らしさを感じるほど悲しさがこみ上げてきます。
いつか元旦の初日の出をここで見たいと思います。
どこで見るより、私はこの地で新しい年の幕開けをご先祖達の御霊と共に迎えてその1年の平和と安泰を願う事は、とても大きい意味と強い願いが込められるような気がします。
過去にこちらの事を書いたブログも併せてお読みください。⇒ 『島根&沖縄旅行 ~沖縄3日目~』
今日も平和の祭典オリンピックを楽しみたいと思います!
Posted at 2016年08月09日 18時59分16秒
71年目の慰霊の日。
こんにちは!
北海道帯広市でネイルサロン&スクールを運営しております、
E-ori’s5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
皆様、世界が奇しくも平和の祭典オリンピックの開会式で賑わっている今日、何の日かご存知でしょうか。
核兵器が初めて人類に投下され日本は唯一の被爆国となった日です。
8月6日、広島。
8月は自分の誕生日もある月なのですが私にとっての8月は、お線香臭いイメージがある月です。
数日後には長崎の慰霊の日が来ますし、お盆もやってきます。
8月は鎮魂の月と言っても過言ではない気がします。
去年の9月末に、広島平和記念公園を訪れました。
私の知っていたつもりの広島の原爆に関する知識の乏しさに驚かされ、改めて広島の人の地獄のような体験と戦後も続く苦しみを知り、言葉も出ず涙だけが出てくる状況でした。
去年、私がずっと訪れたかったこちら、’広島市立本川小学校’の平和資料館に行きました。
こちら本川小学校は昭和3年(1928年)、広島市内の公立小学校としては初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎として建設されたそうです。
爆心地から360mという至近距離で被爆したそうで、校長先生を始め教員、生徒の多くが亡くなっています。
皆様は、’はだしのゲン’という広島の原爆を描いた漫画はご存知ですか?
そこに出てくる「元川小学校」という学校は、この本川小学校がモデルになっているのです。
夢多き将来の担い手達を、若くして亡くしてしまう遺族の心境も、もちろん何が起きたか分からないまま死んでいってしまう本人達のいたたまれなさは、想像以上のものがあります。
原爆による熱射で炭化し跡形もなくなった人達の亡骸は校舎の一部を解体した時に砂利の中から、骨の欠片が沢山出てきたそうです。
きっと今でも校内の砂利に混じって存在しているかもしれません。
我が子の亡骸をも見つけられないご遺族たちは心の整理もつかず戦後長く過ごしたのだと思うと…、
辛過ぎますよね。
こちらの本川小学校の事を書いた掲示板です。
写真上でクリックしてお読み下さい。
そして爆弾が頭上で炸裂した島病院。
原爆ドームを目標に落とされた原子爆弾は風に流されこの病院の上で炸裂したそうです。
当時も病院として開業されており、幸い院長先生と1名の看護師さんは離れたところへ往診へ行っており難を逃れたそうです。
写真上でクリックすると大きくなりますので是非ご一読下さい。
この説明書きは病院の横にあります。
元安橋から歩いてほんの数分、向かって左側に原爆ドームがあり写真中央より左側の大きな建物のすぐ後ろに先程ご紹介した島病院があります。
そして右の建物、こちら現役で使われている被爆した建物で、今は’広島市観光案内所(平和記念公園レストハウス)’となっております。
爆心地から極近にも拘わらず今も現存しているなんて本当に驚きですよね。
原爆投下の日、この建物には37名の方が勤務していたそうです。
たまたま地下の倉庫に書類を取りに行かれたお1人は、いつもはすぐに見つかる書類がこの日はいつもの場所になく探している時に爆弾が炸裂し、奇跡的に生き残ったそうです。
残りの方は原爆炸裂に伴う放射線と熱線・爆風のため、29名が即死し、即死を免れ建物を脱出できた8名はその後の消息は不明らしく、脱出後に急性放射線障害などで死亡したと推定されているそうです。
平和資料館から眺める原爆ドーム。
ガイドさんから教えて頂いたのですが、原爆死没者慰霊碑には7名、広島の原爆で亡くなっていない方のお名前が収められているんだそうです。
何でだか分りますか?!
正解は、広島の方が長崎の原子爆弾が投下された時に居合わせてしまい亡くなったので、同じ原子爆弾で亡くなられたからという事で慰霊碑にお名前を連ねているそうです。
長崎の原爆は、威力として広島型の1.5倍と言われており、また長崎型はプルトニウムの物性に由来する毒性の強い原爆と言われているそうです。
ですが長崎は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたという事です。
私は2008年に数ヶ月間アメリカのニューメキシコ州に住んでいました。
ニューメキシコ州はかつて一世を風靡した宮沢りえさんのヌード写真集サンタフェが撮影された、州都サンタフェがある所です。
ニューメキシコ州へは行って知ったのですが、ここは日本にとって大きなかかわりがある地でした。
写真は、オテロ郡にあるアラモゴードの南西およそ25 km (15 mi)、標高約1.200 m (4.000 ft) に位置する白い大砂丘地帯、アメリカ合衆国国定記念物に指定されている世界最大のアラバスター砂丘ホワイトサンズです。
一面見渡す限り白い砂だけで、「ヒョーヒョー」と風が吹く音しか聞こえない、視覚的にも聴覚的にも感覚的にも今まで体験した事がない異次元の世界が広がる砂丘でした。
こちら、世界初の核実験が行われたホワイトサンズ・ミサイル実験場や、NASAのスペースシャトル着陸用滑走路もあり、住民はほとんどこのエリアにはいないとされています。
ホワイトサンズで人類初の核実験が行われたトリニティ実験は、爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎に投下されました。
トリニティ実験の数週間後の広島・長崎への原子爆弾投下へとつながり、核の時代の幕開けとなっていくのです。
このホワイトサンズが核実験を行うのに広大で都合が良かったのだそう。
そして近隣にあるロスアラモスという所には、アトミックならぬ、サイエンスミュージアムがあります。
ここには一画に原子爆弾の事に触れた展示コーナーもありました。
広島に投下されたリトルボーイ、
長崎に投下されたファットマンの模型です。
コーナーに原子爆弾に思う事を観覧者が思い思いに書けるノートが用意されていたのですが、中には『この爆弾があったからこそ日本は戦争を終結する事ができたから必要だった』と書いている方もおりました。
展示物には原子爆弾の威力は構造が多く解説されているだけで、
人類にどんな悲劇をもたらしその悲劇は長きに渡って続いていく事は一切触れられておりませんでした。
何の因果か分かりませんが、知らずに行ったニューメキシコ州は日本の歴史を大きく動かし、世界の原子爆弾の幕開けとなった地と知り、加害国・原子爆弾を始めて世界に広めた国側から原爆を見る事ができて、より被爆地の事を知りたいと思い拙い勉強法や情報をかき集めるやり方で詰め込んだアメリカの印象は、
『原爆は正義』なんですね。
あの時代、ある意味そう思わざるを得ないのだと思います。
皆、戦争に躍起になっていただろうし、何より日本も回天や桜花など、人柱になる特攻という戦い方を若い子達に強いていたわけですし。
今考えても非人道的で考えられないですよね。
でもそれを考えつく時代だったのですよ。
興味深い記事がありました。
ぜひ、読んで頂きたいです。
今日の広島は、71年前と同じ暑くて蝉が鳴く日だったんでしょうね。
悔やんでも悔やみきれない全ての被爆犠牲者に思いを馳せつつ、今日は過ごしたいと思います。
過去に書いたブログも併せてお読みください。
Posted at 2016年08月06日 17時03分22秒